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講談社くらしの本

私の好きな原田泰治の絵 心に残る一月の一枚

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私の好きな原田泰治の絵 心に残る一月の一枚

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諏訪市原田泰治美術館の名誉館長でもあるさだまさしさんが、「私の好きな原田泰治の絵」にあげたのは、ハワイ・マウイ島に咲くジャカランダの名木を描いた「ジャカランダの丘」(1990年)。

日本のふる里の風景、自然のなかで慎ましやかに生きる人々の姿を描き続ける原田泰治さん。原田さんと交流のある各界著名人が選んだ「心に残る絵」「記憶に刻まれたとっておきの情景」を集めた著書『私の好きな原田泰治の絵』から、季節に添った今月の一枚をご紹介します。

カモメ遊ぶ駅に残るぬくもり

「海辺の駅」 北海道網走市北浜 1984年 310×350㎜
北浜駅は、釧網(せんもう)線の中でも最もオホーツク海に近い駅として知られている。駅前の小高い丘に登ると、空は鉛色、海は波のうねりが不気味なほど白い。海からわずか20メートル足らずの駅に、やがて流氷がおしよせてくる。                                     (原田泰治)

『私の好きな原田泰治の絵』p.34-35

『私の好きな原田泰治の絵』p.34-35

海からの北風と、横殴りの雪が容赦なく木造の小さな駅に吹きつけ、窓ガラスはガタガタ音をたてる。灰青と灰緑のコントラストで北の海を描いた「海辺の駅」を、「私の好きな原田泰治の絵」に選んだのは、ゲージツカこと作家の篠原勝之さん。鉄の芸術家として知られる篠原さんは、原田さんと美大時代の同級生です。17歳で家出した篠原さんの故郷も、こんな空と海が視界の大半を占めていたのだとか。
萌える緑や、地面を埋め尽くす花々とは縁遠い北の風景。原田さんの絵の中では、この「海辺の駅」は異色かもしれないと長年の友人は語ります。しかし「いや待て。駅舎の煙突から幽かな煙が流れている。そうだった。ヒトのささやかな営みを決して見逃さない画家だった」と気づきます。

プラットホームに白線代わりに埋め込まれているのは、目の前の砂浜で拾った大小さまざまの貝殻。入場券を買った人に貝殻で作った記念品を配るなど、海辺の駅にはそれなりの工夫がありました。
「流氷をへだてた知床連山から昇る日の出はすばらしい」と話してくれた駅長さん。描かれた当時は3人の駅員さんが勤務していましたが、今は無人駅になっています。
しかし海を背景にした佇まいは変わらず、元の駅舎を改装した喫茶室が、小さな駅を訪れる旅人を温かく迎えてくれているそうです。
構成/からだとこころ編集チーム

私の好きな原田泰治の絵

著者 原田泰治

私の好きな原田泰治の絵

著者 原田泰治

日本人の心のふる里を描き続ける原田泰治の作品。 33人の著名人たちが選んだ26作品を、それぞれのエピソードとともに紹介します。
永六輔さんの好きな絵は佃島の下町の音が聞こえそうな「路地」、萩本欣一さんは「木枯らし坂」⋯⋯。「原田さんの絵は心にしっかり届く」と語る建築家の安藤忠雄さんが選んだのは「友禅流し」。
各地の心に残る四季の風景、小さなふる里のひとコマが広がります。

profile

原田 泰治(ハラダ タイジ)

1940年長野県諏訪市に生まれる。1963年武蔵野美術短大卒業。1973年複十字シール・デザイン・コンクール特選。1980年小学館絵画賞受賞。1982年4月から、朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界」を127週にわたって連載。1984~86年「原田泰治の世界展」を全国22会場で開催。1987~88年「ナイーフ三人展-原田泰治とユーゴの仲間たち」を各地で開催。1989年から2年にわたりアメリカ合衆国の5都市で「日本の四季を描く原田泰治の世界」を開催。同展覧会は帰国後、全国33会場を巡回。1998年信州諏訪湖畔に「諏訪市原田泰治美術館」開館。1999年紺綬褒章を受章。2001年11月より2002年にかけてブラジル(サンパウロ、リオデジャネイロ)にて「原田泰治の世界展」を開催。2002年中米3ヵ国(メキシコ、コスタリカ、ニカラグア)にて「日本の心」を伝える絵画展・講演会を開催。2008年郵便事業(株)ふるさと切手「ふるさと心の風景」シリーズを全国発売。2011年財団法人逓信協会第56回前島賞受賞。主な著書に『さだおばさん』『原田泰治自選画集』『日本の歌百選』『日本のふる里』など。

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