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講談社くらしの本

私の好きな原田泰治の絵 心に残る十一月の一枚

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私の好きな原田泰治の絵 心に残る十一月の一枚

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諏訪市原田泰治美術館の名誉館長でもあるさだまさしさんが、「私の好きな原田泰治の絵」にあげたのは、ハワイ・マウイ島に咲くジャカランダの名木を描いた「ジャカランダの丘」(1990年)。

日本のふる里の風景、自然のなかで慎ましやかに生きる人々の姿を描き続ける原田泰治さん。原田さんと交流のある各界著名人が選んだ「心に残る絵」「記憶に刻まれたとっておきの情景」を集めた著書『私の好きな原田泰治の絵』から、季節に添った今月の一枚をご紹介します。

山頂から里へ下りてくる秋

「夕暮れの刈田」 長野県長野市 1995年 655×535㎜

田んぼでは、来年にそなえた片づけが始まり、たき火の煙が集落にたなびいた。時期の過ぎた山の紅葉が夕日に染められ、千代紙のように美しい刈田の片づけがすむと、農家の人たちは冬支度に追われ、休むひまもない。(原田泰治)

『私の好きな原田泰治の絵』p.24-25「夕暮れの刈田」

『私の好きな原田泰治の絵』p.24-25「夕暮れの刈田」

長野市出身、作家の小林照幸さん(1968年生まれ)。1999年には、『朱鷺(トキ)の遺言』で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。高校卒業までを長野市で過ごしました。「夕暮れの刈田」は、子どもの頃を思い出す絵だといいます。

紅葉は山から里へ下りてきます。稲架掛(はざか)けも終わり、刈田の後始末に忙しい農家の人たち。切り株が並ぶ刈田は、幼い小林さんたちの遊び場でした。柔らかいボールを、バットではなく素手で打つ「手打ち野球」。雪が積もるまでのわずかな間、この刈田が「手打ち野球」を楽しむ場だったのです。切り株でずいぶんこけましたが、農家の方々も寛容で、「遊ぶな」と注意などせず、ときには柿を差し入れてくれたり、微笑ましく見守ってくださったそうです。農家の方にも子どもたちにも、「雪が積もるまでしかここでは遊べない」という思いがあったのでしょう。残されたわずかな時間。暗くなるのもずいぶん早くなりました。

土壁の民家や土蔵も立て直され、そこに根を張って暮らす人々の生活も移ろうなか、「原田先生の作品はあの頃のふるさとと対話する再会の時間も贈ってくださる」と小林さんは語ります。

錦のような紅葉も、庭先で色づく柿の実も、まるで目に入らぬように忙しく立ち働く農家の人たち。それでもボール遊びに興じる小林少年たちに柿を差し入れてくれたという、温かいふるさとの思い出。紅葉の錦が雪化粧するのも間もなくなのでしょう。秋は、そしてまもなく初冬も、山から里へ下りてきます。                                        構成/からだとこころ編集チーム

私の好きな原田泰治の絵

著者 原田泰治

私の好きな原田泰治の絵

著者 原田泰治

日本人の心のふる里を描き続ける原田泰治の作品。 33人の著名人たちが選んだ26作品を、それぞれのエピソードとともに紹介します。
永六輔さんの好きな絵は佃島の下町の音が聞こえそうな「路地」、萩本欣一さんは「木枯らし坂」⋯⋯。「原田さんの絵は心にしっかり届く」と語る建築家の安藤忠雄さんが選んだのは「友禅流し」。
各地の心に残る四季の風景、小さなふる里のひとコマが広がります。

profile

原田 泰治(ハラダ タイジ)

1940年長野県諏訪市に生まれる。1963年武蔵野美術短大卒業。1973年複十字シール・デザイン・コンクール特選。1980年小学館絵画賞受賞。1982年4月から、朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界」を127週にわたって連載。1984~86年「原田泰治の世界展」を全国22会場で開催。1987~88年「ナイーフ三人展-原田泰治とユーゴの仲間たち」を各地で開催。1989年から2年にわたりアメリカ合衆国の5都市で「日本の四季を描く原田泰治の世界」を開催。同展覧会は帰国後、全国33会場を巡回。1998年信州諏訪湖畔に「諏訪市原田泰治美術館」開館。1999年紺綬褒章を受章。2001年11月より2002年にかけてブラジル(サンパウロ、リオデジャネイロ)にて「原田泰治の世界展」を開催。2002年中米3ヵ国(メキシコ、コスタリカ、ニカラグア)にて「日本の心」を伝える絵画展・講演会を開催。2008年郵便事業(株)ふるさと切手「ふるさと心の風景」シリーズを全国発売。2011年財団法人逓信協会第56回前島賞受賞。主な著書に『さだおばさん』『原田泰治自選画集』『日本の歌百選』『日本のふる里』など。

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